箱庭で遊ぶ日々

よく考えながら生活していくために

五輪開催にがっかり

ここ数ヶ月,オリンピックが中止になることばかり願って,ネット上のニュースやコメントをチェックする癖がついてしまった.本当に時間の無駄.変な習慣が身についてしまったのだ.

なかなかこの悪い癖から抜け出せない.change.org のオリンピック中止の署名活動にまで参加してしまったので,署名の数までチェックしなければ気がすまなくなった.遠隔での仕事も相まって,モニターを覗き込んでいる時間が半端ない.夜も9時半を回ると目がしばしばしているのにもかかわらず,止められないネットニュース・サーフィン.

これはまずい.人の極端な意見ばかり見聞きしていると,なんだか頭の中がもやもやしてくる.何に対してか分からないが「憤り」が脳の片隅に吹き溜りのようになってくる気がして,気持ちが悪い.どうにかこの気持ち悪さをなくしたい.そして,この中毒状態から脱したい.

で,思いついたのが自分のブログに素直な考えを吐露することだ.ツイッターで呟くのも良いかも知れない.多くの人のツイッターの内容は,どちらかというと両極端だ.ある事象に対する,反対,と,賛成,に分かれる.自分は,どちらでもない,どうでも良いじゃない,ということが多いので,「どちらでも良いと思っている人」の存在をアピールすることができるかも知れない.まだ,アカウントもないのだが.

 

さて,コロナ感染拡大の中でのオリンピック開催について

これにはずっと反対してきた.実は,もともと東京でオリンピックを開催すること自体に反対だったのだ.おそらく,今回,五輪中止を訴えた人の多くが,そうなのではないか.もともと,東京でオリンピックを開催することに反対だったのではないか.あるいは,そもそも,オリンピックそのものに反対なのではないか,スポーツマン(アスレート?アソレート?)のがんばりによって感動など生じない人なのではないか.私自身がそうなのだが.なぜ,運動を頑張ると特別に褒められるのか.文章を書く人,研究をする人,作物を作る人,絵を書く人,楽器を奏でる人,料理をする人,いろんなプロフェッショナル,アマチュアがあるわけで,なぜ,運動をする人たちだけ特別扱いされるのか.今は,アジア大会,国際大会など,競技会は沢山あるのに...と,思うわけだ.

かと言って,開催中に全く競技を見ない,というのも難しい話で,ネットでもテレビでも,多数のプログラムをやっているので見てしまう.観れば,応援してしまう.あーあ,時間を無駄にしちゃったと思いつつも.だから尚更厄介だ.

というわけで,オリンピックの開催中止を願っていたが,なんと,強引にも開催されてしまった.こんなことしちゃうのかな,民衆の力なんで幻想だな,とあらためて感じたのだ.

そして,始まってたら,新聞でもテレビでもネットでも,日本人の活躍のニュースで溢れているわけで,情報を遮断することはできない.「あっ,日本人,頑張っているんだな,」とか,少し嬉しくなったりして,嬉しくなった自分に情けなくなったりしてしまうのだ.それを,「君は,五輪中止派だったんではないか,なぜ,応援するのだ!」と責める人たちがいるとは,世の中,思いの外,狭量な人が多いものだ.

 

 

タイトル変更:箱庭で遊ぶ日々

7回だけ書いてから,すっかりご無沙汰してしまった.本当に続けるのは難しいことだ.誰かに向かって書いているわけでもなく,自分のために,気持ちを整理したいこと,未来の自分に伝えたいことを残したいと考えてはじめたのだが,これが続かない.

止めてしまおうか,と思う.「あっ,そろそろ書かなきゃ」という負担となっているのでは意味がない.

これまでの書いた7回分を読んでみた.何とも恥ずかしい内容だ.もっともらしいことを述べているが,とどのつまりは,自分の不快な思いを正当化してあれこれ考えている.そして,タイトルは,「こんな高齢者になりたくない」など不遜なものだ.なぜ,2ヶ月前は,そんな風に考えていたのだろう.気づかないうちに「怒り」の感情に支配されたいたようだ.何に対する怒りだったのか?

辛丑 壬辰 壬午

 2ヶ月近くもブログを放置していた.毎日,毎週,かかさず取り組んでいる人は,本当にすごいと思う.youtuberしかり.続けることの難しさを実感する.

 感動したこと,憤りを感じた出来事があると,思いを再現したり,記憶に留めたり,感情的になって吐き出したりしてしまいたくなる.それらを,「もしかしたら,誰かが読んで,共感してくれるかもしれない,,」と期待して,公開設定にしたりしている.他の人のブログを読んで,同じように感じている内容があると,ほっとした経験がたくさんあるからだろう.ところが,突発的に書くことが無意味に思えたり,時間の無駄に感じられたりしてしまう.すると,もうそこでしばらくストップだ.書き続けるには,明確な目的が必要なのかも知れない.

 タイトルを4ヶ月のうちに2回も変更するなど,確かに迷走している.素直な気持ちで残したいことを書く.そんなスタイルで続けてみよう.

「年賀状やめます」

年末年始に,二人の友人から「還暦を迎えるにあたり,勝手ながら新年のご挨拶をご遠慮云々」という便りをもらった.一人は,年末に「来年から,年賀状はやめますね,」というクリスマスカードだが,「そっか,それもありか」と気に留めもしなかった.もう一人からは,2月に入って葉書が届いた.「勝手ながら本年より新年のご挨拶をご遠慮させていただく所存です.これまで常に私を支え,励ましてくださった皆さまには,感謝の気持ちでいっぱいです.本当にありがとうございました.」という文面で,相手には有無を言わせないような強いエネルギーを発していて,少し面食らった.昨今流行りの「断捨離」の人間関係版のようだ.

「新年の挨拶」「還暦」で検索してみると,結構この年代に年賀状をやめる人がいるらしい.煩わしく形式的なご挨拶を止めよう,という気持ちは理解できないでもない.

ただ,私には,まだ考えも及ばなかったことなので,いささかびっくりした.なにも宣言するようなことでもないし,嫌ならフェードアウトすれば良いことではないか.いきなり,「今年で年賀状をやめます」と宣言された側には,寂しい気持ちや切り捨てられたような気分になる人もいるだろう.また,ラインやメールなら挨拶をしても良いのか,それとも,挨拶そのものを止めたいのか,迷うところとなってしまう.

そんなことにならないように,挨拶文への丁寧な注意書きまである.いつか参考になることもあるかも知れない.

年賀状じまいの文例や注意点「年賀状をやめるとき」の挨拶文について

https://www.enjoy-mylife.net/being/new-years-card-jimai-sentence-example

 

 

 

防音室がほしい

自由な時間ができたら何をやろうか,と考えると少し楽しい気持ちになる.仕事で欲張らず健康であれば,残りの人生,基本的には自由時間が増えていくことになるのだ.

昨年は,なぜか夢中になって庭の草取りをし,芝生を植え,何種類かの植物を植え,水やりに励んだのだが,これが何とも楽しかった.Covid-19のお陰で在宅時間が増え,庭いじりの面白さに開眼できたのだ.

庭いじりも楽しいが,冬には日陰しかない20平米ほどの庭でできることといったら限りがある.やはり,頑張れば上達して,やればやるほど世界が広がり,しかもそのこと自体が心身の健康に良いことをしたい.

陶芸,油絵なんか,取り組んでみたい.

フランス語やイタリア語などのヨーロッパの言語を,旅先で困らない程度に勉強してみるのも良い.

が,「頑張れば上達して,やればやるほど世界が広がり,しかもそのこと自体が心身の健康に良いこと」という条件を満たすのは,何と言っても楽器演奏だろう.まずは,ピアノの練習をやりたい.ここ数年は全くキーに触れていない.大きな理由は,50坪足らずの戸建が立ち並ぶ近隣への配慮だ.お子さんたちが巣立って静かに夫婦暮らしをしている家庭が多いなか,ピアノの音を響かせるわけには行かない.実際,3件ほど離れた家からフラメンコギターの音が聞こえてくると,「静かにしたいのになー」と思ったりする.上手か下手か,の問題ではなく,その音を,その曲を,まさにその時に聞こえてきても良いのか,という問題だ.お互いの家庭に子どもがおり,かたやピアノ,かたや管楽器,方や素振りの音が聞こえているうちは,無意識のうちに「お互い様だよね」という気持ちが湧いくる.ところが子育てが終わってのんびりと庭仕事を楽しんでいるときに,近隣から聞きたくもないエチュードが聞こえてきたのでは,不満が募っていくだろう.

というわけで,ピアノを弾きたい,チェロを習いたい,三味線をかじって見たい,というからには,防音対策をして人様に迷惑をかけないようにしなければと思う.

どのくらい費用がかかるのか,どんな業者,どんな工法があるのか,を調べて見た.

まず大切なことは,「どのようなレベルの防音を目的とするのか」というこらしい.ホームページの紹介を見ただけでは業者の良し悪しはわからないが,とりあえずは以下3社について,調べて見た.いくつもあるので,正直,どこが良いのか迷ってしまう.やはり,実際に防音室を作った人に直接聞いてみる必要があるかも知れない.

 

ピアノの防音室|構造から費用まで|D.S.Pコーポレーション

バドシーンについて | 防音室工事のデザインと性能保証のバドシーン

会社案内|防音室・防音工事・対策は環境スペースにお任せ|サウンドゾーン

音の大きさと防音室 | 防音工事の事ならリブテック 日本全国対応可能

ピアノ用防音室の施工事例ギャラリー | 高橋建設株式会社

 

調べ始めたばかりだが,どの会社からお共通してえられた情報は以下の通りだ.

1.外部でD60程度の防音をするには,6畳で250万円〜かかる.

2.防音工事をすると,部屋が一回り小さくなる.

3.サッシによる防音が可能で,居間と防音室とに空間的な連続性を維持できる.

 

実際にどの業者にお願いするか決めるまでには,いろいろ調べてみる必要があるだろう.時間はかかりそうだが,部屋のレイアウトについて考えたり,期待通りの防音室が手に入ったときのことを思い浮かべるとワクワクする.それほど音に気を使わないとならない空間に居住しているということか.

 

85歳人曰く,「観たい番組がない!」

一週間に一度,85歳の一人暮らしの義父の家を訪れている.介護,というほどではないが,昼食と夕食の準備,洗濯物少々,片付け少々,話し相手少々,といった作業をしてくる.

 そこで,毎回,何度も聞かされるのが,「観たい番組がない」という台詞である.ときには唸りながら辛そうに,ときには怒りを滲ませて,テレビのスイッチを入れるたびに同じことを言う.最近では,それにプラスして「コロナのニュースばかりで,イヤになっちゃう」である.唯一楽しみにしているのは,大相撲とNHK大河ドラマだ.大河ドラマも「明治時代以降は,つまらない,」とのこと.

私は,高齢者の愚痴を聞くのが嫌だ.さらにいうと,愚痴ばかり言う高齢者は嫌だ.と,私の愚痴になってしまっているが,自分が本格的な高齢者になったら,他人に加齢にともなう愚痴を言わないようにしたいと心に誓っている.反面教師である.

 訪問されるたびに「観たい番組がない!」と連発されると,「何とかしてくれ〜」という叫びにも聞こえてくるものだ.それに応じるつもりで,12月にひかり回線の設備を整え,ひかりTVなるものを観られるようにした.時代劇チャンネルや,ファミリー劇場,ちゃんねるネコといった,ときどき昔の番組や映画を放映してくれるチャンネルである.

 早速,60インチのテレビで見られるように設定したのだが,「大して面白いのがやっていないよ〜」と言う.「沢山ちゃんねるがあるから,色々,試して観るといいですよ」と言ってみても,「好きな時代劇は,ほとんど観たので,同じものばかりだ」という.また,新しいリモンコンの操作に慣れずに他のボタンを押してしまうので,通常楽しんでいた番組に戻ることができず,イライラとして不満げな声を上げる.

 結局,1月の大相撲が始まった頃には,「観たい番組がないから」ひかりテレビ用のチューナーを外してくれと言い出し,お金をかけて設置したことが無駄になってしまった.「やっぱり私には無理だから,折角だけれども必要ないな,ごめんね.」という謝りの言葉もなくである.正直,頭に来た.

 

と,このままでは,単なる私の愚痴になってしまうが,重要なのは,この現象について深く考え,自分がそうならないためにどのよな対策をとるべきか,という姿勢だ.

 

1.なぜ,新しい番組をじっくりと観てみようとしないのか?

考えられる理由)

・自分と同世代の主人公が活躍する番組が少ない.

・同世代のものが出演している番組が少ない.

・話の内容についていけない.

 

2.この現象は,85歳の高齢者では,共通して見られる現象か? それとも,義父特有の現象か?

仮説の例)

・85歳までの社会経験(学歴,職業等)によって異なる傾向が見られる.

・個人の性格特性の影響を受ける.

・身体機能・認知機能の状態によって異なる.

 

1に関して考えてみると,私自身,古い音楽ばかり聴いている.その方が楽で気持ちが良いからだ.同世代のミュージシャンが活躍しているのを見るとなんだか嬉しくなってしまう.高齢化現象が始まりだろう.何歳くらいからだろうか.

 

2に関して,義父特有の現象なのか,特定の生物心理社会的背景をもった高齢者で共通する現象なのか,調べてみると面白いかもしれない.テレビに限らず,「高齢者の余暇活動についての調査」というテーマになるだろうか.

 

父が歌う 2 裏町人生

先週,緊急事態宣言が発令され,ますます高齢者施設への訪問が憚られるようになってきたが,父に玄関先まで出てきてもらって,十数分,会話を交わすことはできる.父も私もマスクをし,念のために施設の方が体温を測ってくれる.施設側の適度な融通のきかせ方に感謝だ.

 そして今日も,約束の時間に,父が玄関先で待っていてくれた.玄関から見える応接広間の奥の方に,大きな赤い鳥居が設えてある.入居者に,少しでもお正月の初詣の気分を味わってもらおうという計らいだろう.ちょっとした工夫がありがたい.

少し見ない間に,少し足元が覚束なくなってきた様子だ.ああ,そろそろかな,と思う.

「ここは安心なんだから,いつもと一緒だから,来なくていーのにー」と父.

ポリデントを持ってきたよ.何か変わったことはあった?」と私.

この間歌ってくれた「満洲娘」をYoutubeで一緒に見て,一緒に口ずさんだ.なんともたのしげな歌だ.

「ねぇーえ,裏町人生,という歌,あるかな? とても良い歌だよ.」と父.スマホで探してみると,1937年の歌が,しっかりと出てくる.父が,一緒に歌い出した.

 

 暗い浮世の この裏町を

 覗く冷たい こぼれびよ

 なまじかけるな うす情け

 夢もわびしい 夜の花

  ...

昭和12年(1937年) 作詞:島田磬也 作曲:阿部武雄 歌:上原敏 結城道子

父が12歳のころに,ポリドールから.

尋常高等小学校の父が,どんな思いで,この歌詞を口ずさんだのだろう.想像すると面白い.一般家庭にようやくラジオが普及し出した時代だろうか.

それにしても,別の面での私の驚きは,このような古い歌が,Youtubeに挙げられていて,すぐに視聴できる,ということだ.しかも,100万回ものビューの履歴がある.

上原敏・結城道子 裏町人生 歌詞 - 歌ネット

 

www.youtube.com