箱庭で遊ぶ日々

よく考えながら生活していくために

はじめてのカウンセリング

 子どもについての諸々の心配事を何とかかたづけたい,自分の考えている方向性が誤っていないかを確かめたい,具体的な方略を教えてもらいたい,という気持ちから,はじめてカウンセリングを受けてみた.1回50分 5000円.どういう姿勢で臨めば良いのかわからないが,とにかく自然体で自分の考えや思いを語ろう,と電話予約をした.

 1回目は,連休明けの5月8日月曜日14:00から.昔の病院を思わせるような古い建物の3階の小さな部屋に,カウンセラーと小テーブルを挟んで対面した.真正面にメモ用紙とペンを持った臨床心理士と思しき人が座っている.メガネを外していたのでどんな顔なのかはっきりわからないが,穏やかな声色の30代後半の丸顔の男性のようだった.自分の職業やこういった体験が初めてであることも明かした.さて,そして本題だ.子どもの困りごとについて一気に話したように思う.どのような内容であっても共感性をもって聞いてくれた.ただ,「こういった問題は扱えない」という線引きを持っているような印象も受けた.話を聞いてもらえるだけで,また似たような事例があることを聞かせてもらえるだけで少し気持ちが落ち着いた.なぜだか自分で勝手に3週間後,という間隔を設定して,次回の面談を予約した.

 5月29日の同じく14:00 ~から,再び面談した.少しでも子どもの状況を好転できる可能性があることなら何でも取り組んでみよう,という願いから.今日は何を話そうか.1回目の内容をさらに深めていろいろ聞いてもらう,解決への方向性を探らせてもらおう,と考えて臨んだ.何を話しただろうか...最近,目標をもたずに現状に満足する子どもが増えている,親に対する反発や憤りもなく,ただただ「やる気」のない成人が増えているとのこと.では,どうしたよいのか.そこが知りたいのだが答えを聞かせてくれるわけではない.やはり本人と直接相談に来ないと不明な点も多いのだろう.私が何に困っているのか,という点は理解してもらえているようだ.気持ちの安定を図る上では多少の効果があると思われたので,次回の予約もとった.

 6月19日,同じく月曜日の14:00 ~ から.今回は1週間前に本人に声をかけてみた.当日はそれほど乗り気では無いようだったが,一緒に面談を受けた.面談の前には,よく話に出てくる友人の車にのせてもらって障害者手帳を取りに行った.何ということだろう.自分がこんな立場になるとは,障害者手帳をもらう子どもの付き添いをすることになるとは,想像だにしていなかった.はっきりいってショックなのだ.その場で落ち着いた親を装っていたが,内心は深く静かな悲しみに震えていた.この1,2年,ネットニュースやyoutubeや映画を見ずには1日を終われないが,結局,逃避場所を常に求めているのだ.とても自分の子どもが障害者であることを心穏やかに認めることはできない.なぜ,なぜ,いや,やっぱり,自分がこんなだったから.この日は,その後本人とその友人と3人で昼食をとったあと,そのカウンセリングに向かった.3者で面談ということで,いつもの場所ではなく,2回の広めのキッチンで行った.カウンセラーが対面に座し,私と子どもが横に並んだ.可能な限り正直な気持ちで臨もうとした.本人はどうだったのだろうか.特に緊張をする様子もなく,カウンセラーの質問に答えていた.いままで聞かされた答えと特に大きな違いはなかった.カウンセラーの声がけに応じて心の奥底まで語っていたようには思えない.いつものとおり淡々とした調子だった.なんだろう,それほど期待をしていないということか.カウンセラーもとっかかりを見つけられずにいた様子で,次回の面談は私一人ですることになった.

 そして7月10日,14:00 ~ . 私が一人で面談を受けに行った.今日は何を話せば良いのか,何を語ってくれるのか,きっと前回の子どもの様子から推測されることを語ってくれるのだろう,,,私は何を聞けば良いのか,何を話せば良いのか.いったい,この繰り返しで何かが変わるのか.流石に4回目ともなって,カウンセリングの効果にたいする疑いのようなものが出てきた.結局,親が望ましいと思っている方向に子どもの生活を変容させていくのは難しい,というような説明をしてくれた.変えるきっかけとなるには,1)親が何らかの要因で子どもの手助けを全くできないような状況になったとき,2)親自身が変わり,親子関係そのものが変わったとき,3)親以外の他者の存在(メンター,恋人,友人など)によって,本人が大きな刺激を受けて変わろうという気持ちになったとき,の3つが考えられるという.それ以外では,いくら親が正論を言おうとも,子どもの心には響かないらしい.そして,我が家のケースをみると,本人には何も響いていならしい,とのことだ.本人は,ひょうひょうとして生きている.深く悩んだり傷ついたりしている様子もあまりない.多少は親に申し訳ないという気持ちも持っている.かといってがんばろうという気持ちにもなっていない.そのとおりだ.幾たびも家族で話をしてきた内容だ.カウンセラーに相談して,手をうつ術のないことが確認されてしまった.これ以上,話を聞いてもらっても,聞いても,新しい方策は見当たりそうもない.

初めての4回のカウンセリングで,一息ついている.自分が臨床心理士になったとして,あれ以上のことを何か行ってあが得られるか,というと難しい.「本人が欲していること」が重要であるということ.認知行動療法については詳しく聞かなかったが,やはり「本人のコミットメント」に重要になってくるのだろう.

今後の方向性としては,発達障害の正確な診断を受け,ソーシャルスキルレーニングへとつなげることだろう.そのためには,まず本人にこれまでの診断結果はどうしたのか聞いてみる必要があるだろう.

今回,カウンセリング任せではすぐに解決への道が開けるわけでないことがわかった.確認できた.自分の考えを総括するために活用できることもわかった.臨床心理士の役割を少し垣間みることができたと言えるだろう.