箱庭で遊ぶ日々

よく考えながら生活していくために

87歳 義父のこと

今月,義父は87歳になった.免許返上してほしいのだが,まだ,車の運転をしたがる.自分の食事の準備,洗濯,身の回りの片付けはしっかりとできる.記憶もしっかりしており,病院に行く日や仏事等の行事を忘れることがない.庭の管理に余念がなく,広い敷地の草むしりも定期的にやっている.かなり縮小してはいるのだが,親戚付き合いや高校の友人とのやりとりもつつがなく行なっている.

娘を失い,妻を失い,期待の孫が定職に就けないような状況だが,決して悲観的になったり,他罰的になったり,はたまた自分を責めることもなく,しっかりと生きている.生きようとしている.こころが強いのか,それとも,鈍感なのか.自分を大切にするという本能的な能力は持ち合わせているようだが,かといって,自分勝手というわけでもなく,他者を思いやる気持ちも持ち合わせているとように思える.

ただ,他の人の考えを尊重しよう,という姿勢には欠ける.あの家全体が彼の拡張身体のような感になっていて,その空間では彼が支配者なのだ.誰もが従わざるを得ない暗黙のルールがある.ときどき,その雰囲気に抗いたい気持ちになり,心がささくれ立つ.自分の自由を侵害されているような.

いつまでこのままの状態が続くのだろう.人の「終わり方」の難しさを感じる.長生きをすると,当然,面倒をみる子どもらも歳を取り,体力が衰える.いわゆる老老介護と言われる問題に直面することになる.自分のことで精一杯になる.人生の終盤にのんびりとしたいのに,楽しくもない高齢者の世話をしなければならなくなる.高齢になると誰かの手を煩わせて生活をしていく,という社会通念は,いつから始まったのだろうか.

あまり先のことを考えないこと.一週間単位で,「今週もなんとか頑張れた」という気持ちで過ごすことも大切かも知れない.