箱庭で遊ぶ日々

よく考えながら生活していくために

空き家の管理とかたづけ 

これほど非生産的なことはない.誰のため? 何のため? どう未来につながる? 成長する?得する?どれにも当てはならない.かといって,古いものがどんどん汚れて朽ちていくのを見過ごすのも辛い.立派に立てられた家だとなおさらだ.太い柱,丁寧に作られた障子の飾り模様,広い畳敷きの部屋.それらを60年以上も一生懸命に掃除してきた義母の思い.それら有形無形のものに囚われてしまう.縛られてしまう.想像力によって在らぬものが作られていく,そしてそれらの観念に囚われた者は家に奉仕するようになってしまう.一生懸命に掃除をしたり,布団をほしたり,,,囚われかけているのがまさに今の自分だ.汚いままにしておくことが申し訳ないような錯覚に陥る.亡くなった義母を冒涜しているように感じられてしまう.

ポツリと一人で広い家にのこって片付けをしていると,誰かが後ろを通り過ぎたような気がしたりする.ちょっとした物音が人の気配に感じられたり.ああ,霊がそこにいるような...こんな経験していると,ホラー映画の楽しみ方も奥深くなる.想像力を勝手に色々なものを作り出し,罪悪感や申し訳ないと情動を引き起こす.自分自身が元来怠け者で掃除を一生懸命にやってこなかったからだろう.

空き家には,「触れずに放っておきたい気持ち」と「しっかりと世話をして先祖に報いたい気持ち」のアンビバレントな気持ちに起こさせる何かがある.どちらに取り憑かれても振り回され感が半端なく,生き生きとした自由意志での行動を制限される.なんとかバランスを取りながら,自分の生活を大切にできるように関わりたい.