箱庭で遊ぶ日々

よく考えながら生活していくために

五輪にちなんだ3つの事件

五輪にちなんだ3つのニュースについて,ネットの反応ばかり追っていたら,なんだか自分の感じ方がおかしいのだろうか不安になってきた.いわゆる「時代遅れ」なのだろうか.のちの検証のために,今,考えていることを記録しておこう.

 

其の1.過去のいじめ記事のために五輪音楽担当を辞退したミュージシャン小山田氏の件

小山田さんというミュージシャンの名前は聞いたことがなかった.ちょうど渋谷系とかいうのが流行っていた頃,日本にいなかったからだろう.数年前に,小沢氏の音楽を聞いたけれど,なんだか素人っぽい歌い方をする人だなと思った記憶がある.小山田さんは彼の片割れだった人だそうだ.ネットは便利なもので,すぐに容姿から生い立ちから,問題になった雑誌の表紙やその内容を見ることができる.結構この話題にはハマってしまって,原本の写しの内容にもたどりついて,インタビュー記事をほとんど読んでしまった.

実際にそんなことできるもんじゃないでしょ,といういうひどい内容のいじめだ.幼稚なのだ.かっこ悪いのだ.見苦しいのだ.自分が虐められる立場の人間がやりそうないじめ方なのだ(と思う).わざわざ,障がいのある同級生を見に図書館に行くなんて,小学生レベルの行動だ.ネット上には,犯罪レベルの行いだといって彼を罵る発言も散見されたが,それは違うのかな,と思う.何を今更,である.ずっと放っておいたのに,なぜ,五輪の音楽に関わったことでこれほど大きく取り上げられるのか.たかが五輪の音楽だ.お金儲けのためにお題目を唱えて大仰なことをやろうとするイベントの音楽の担当者にすぎない.どんな人がやっても,全然構わない.どうでも良いではないか.

私は,基本的に,作品とその人が行ってきたことは分けて考えても良いと思う.良い行い,悪い行いの判断は,曖昧で恣意的なものなのだから.良い作品,悪い作品の価値づけも,作品が世に出されるタイミングや損得勘定によって変わるものなのだから.作品と作者の言動に一貫性を期待する方に無理があると思う.

 

其の2.名古屋の河合市長が金メダルを噛んだ件

正直のところ,恐ろしい.たかがメダルを噛んだくらいのことで,大企業やスポーツ選手がこぞって非難声明をさしたり,政治家や著名人まで出てきて,金メダルの再発行だの辞任の要求だのしたり.なんで?ほんとうに齧って食べてしまったわけでもなく,歯形がつくほど柔な作りでもないだろうに.ツバがつく,といっても,発熱していないわけだしコロナじゃないでしょ.拭けば問題ないことだ.「ちょっとずれてるおじさんが,サービス精神でおちゃらけてみたけれど,周りの人が引いてしまった」というだけの話なのだ.日本人の感性は,どこに向かっているのだろう.ある弁護士が,「困ったことではあるけれど,まあ,あの年齢のおじさんがやりそうなことだし,悪気がないのだから,それほど大騒ぎしなくても,,,」というようなことを言ったら,これまた炎上してしまう.私の感じ方も,「時代遅れ」なのだろう.金メダルは,物だ.努力してかちとった証かもしれないけれど,物に過ぎないのだ.壊れても,汚れても,無くしても,勝ち取ったものは変わらない.メダルをそれほど有難がるなど,偶像崇拝のようで気持ち悪い.メダルを噛まれた選手が,一言,「私は,全然気にしていませよ,お気持ちありがとうございます」といったら済んだはずなのに.

おじさんが頑張ってずれたことをしちゃっただけの話なのだから.誰か,助けてあげれば良いのに,と思う.

 

其の3.張本氏の女子ボクシングについてのコメントが非難をあびた件

「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだ.」と,私も思った.殴り合い,という言葉はよくないかもしれないが,みてのとおり,ボクシングは殴り合いだし,サッカーはボールの蹴り合い出し,柔道は投げ合いだ.「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って、こんな競技が好きな人がいるんだ」というのは,視聴者のウケを狙った彼なりのサービスだろう.ポリティカルコレクトな発言ばかりでは面白くない.

私は番組自体や張本氏の番組内での役割を知らないので,彼の発言がが問題なのかどうかを判断できない.ただ,「老害だ」「降板すべき」などという激しい個人攻撃に値するようなことではないと思う.スポーツのコメンテーターとしては,ちょっと的外れなことを言ってしまった,という程度のものだと感じる.

女性蔑視だ,と非難している人々が,「高齢者は〜だ」「時代遅れだ」と,年齢差別的な発言を平気でしているのも恐ろしい.ここ数年,世の中全体に,こんな事例が増えてきたように思う.

 

ネット上にコメントを出す人は,結局,敵か,味方かに分かれて議論することを好んでいるように感じられる.起こったことの本質を捉えようとすることより,敵か,味方に分かれて議論を戦わせたり,相手にギャフンと言わせたり,相手が狼狽する様子を遠目から見るのを楽しんでいるのだ.あるいは,普段は誰にも意見を聞いてもらえない人が,ネット上でもっともらしいコメントをし,d(^_^o)をもらって自己評価を高めているのかも知れない.

ここ2,3ヶ月,五輪中止の動向も気になって,ネット上のニュースや,ニュースについてのコメントやツイッターばかり見ていた.中毒性があり,次々といろいろなコメントが読みたくなってしまう.時間の無駄だった気がするが,まあ,ネットにコメントを書き込む人々の多さと,其のエネルギーの大きさを垣間見ることができた.

 

大切なことは,偽善や誤魔化しを見抜く能力,あるいは直感を見につけておくことだと思う.そのためには,自分自身で考えること,調べること,人の意見に耳を傾けつつ,安易に感動したり同調したりしないこと.自戒を込めて.