箱庭で遊ぶ日々

よく考えながら生活していくために

血圧60mmHg, 酸素飽和度70%

9月30日の8時40分ごろ,出勤途中に施設から電話がかかってきた.いつもと違う時間なので何事かと思いながら着信すると,「父の血圧がとても低くなって危険な状態です,救急搬送等について家族に相談したいので早くきて欲しい」との内容だった.1昨日まで元気だったのだが,なぜ急に.兄弟夫婦にも連絡し,急いでタクシーで施設に向かった.正直,かなりうろたえた.深呼吸をして,仕事の段取りなども考えつつ,パソコンの電源と水をカバンに詰めた.

施設に着いてみると,施設の職員たちはそれほど慌てている様子もなく,医師や救急車も来ていなかった.どんな様子か想像しながら居室にはいってみると,ベットに,いつもよりは少し顔色の悪い父に横たわっていた.側には,看護師がいた.父の体調の異変に迅速に対処し,私に電話を連絡をしてくれた介護士もその場にいてくれた.少し涙目になってはいるが意識のはっきりしている父がいた.暖かい看護を受け,安心している様子だった.私の声掛けにもいつもどおり返答できた.

少ししてから兄弟夫婦が駆けつけた.そこでどんなことを話したのか,今では思い出せない.父の顔色は次第にもとどおりになり,話もできるようになっていた.「危篤状態」からの生還だ.血圧が60mmHg以下,SpO270%以下だと,一般的には意識障害が起こり,危篤状態と判断されて家族に連絡が行くらしい.今後,このようなことが起こった場合の対応策を,父と兄弟夫婦と確認した.病院に搬送しない,ということだ.血圧を上げたり,酸素吸入をしたり等,一切の医療行為をしないということ.ホーム長にも,その旨を伝えた.死をホームのスタッフに任せる,ということ.負担はどうなのだろうか,っと,少し気になった.

父の様子が落ち着いていたので,弟夫婦を残し,私は仕事にもどることにした.老衰死,とはどういうものなのか,ネットで調べてみる.知らないことばかりだ.病院以外での人の死というものを体験したことがない.祖母も,祖父も,母も,病院で死を迎えた.病院の医師と看護師に看取りを任せていたのだ.今回は,介護士を中心に看取りをしてもらうことになる.その負担については,少しは合理的な配慮が存在することを知った.看取り介護加算というものだ.少し,気持ちが楽になった.お金を払えば良いというものではないが,負担をかけた分,何らかの償いをしたい.

今回のことをきっかけに,少しずつお別れに来てもらうようにした.死を待つこと,死を受け入れること,死を共有することを経験していくのだ.あれから2日たったが,父の様子は安定し,これまでと同じように1日を過ごせているようだ.食べられる量も体重も減っているので,それほど長くはないかも知れない.最後の日まで,これまでどおりのように朗らかに過ごせることを願う.そして,私たちは,自分の生活をこなしながら,父とのお別れの準備を進める.